「部活やめていい?」



悪い冗談とでも思ったのだろう。鼻で笑いながら「好きにしやがれ」と全くもって真面目に取り合ってくれない。でもそれで正解。これは悪い冗談、おふざけだ。「ですよねー」と抑揚の無い返事をして作業に戻る私を見た跡部はわかっていたかのようにククッと笑った。


「お前何回目だよ」
「なにが?」
「やめるやめる詐欺」
「やめるやめる詐欺?」


キャッチーな俗語は跡部に似合わない。ジローあたりが名付けたんだろうか。思わずニヤけながら聞き返すと、缶コーヒーに口をつけながら早く続けろと促してくる。もちろん意味のない思いつきの話ではないし、こうなるに至った気持ちの流れがきちんとあるのだけれど。でも跡部からしたらどうせいつもの話。やめるやめる詐欺の度に私はニュアンスの違う同じような話を繰り返ししているだけなのだ。
最初に「辞めたい」と言い出したのはいつだっただろうか。青筋立てて責任だの常識だの人としての在り方だのとてつもない勢いで説教をされた。それでも何度も懲りずに言い出すものだから私の中の解決しないモヤモヤを跡部もなんとなく探って汲み取ってくれるようになり、今となっては得意のお約束みたいなものになっていた。もちろんそれでも機嫌が悪い時はそれなりに怒られるんだけど。ほら、また口の端を上げながら私が語り始めるのを待っている。


「なんていうかさ、疑問になっちゃうんだよ」
「何がだよ」
「私がここにいていいのかなーって」


紛れもなくうちのテニス部は名門だ。そんな華やかかつ厳しい世界で奮闘する跡部達に比べてマネージャーは裏方でしかない。もちろん大事な仕事だという自覚はあるけれど、どんなに頑張っても私は跡部にはなれない。みんなと同じコートには決して立てないし、同等に並べない。それに気づいた時、とてつもなく寂しい気持ちになる。必要としてくれていることは理解しているし、私も一緒に戦いたいと言うと「一緒に戦ってんだろ」と当たり前のように返してくれるけど、それじゃなにかが足りない。勝って得る喜びは同じかもしれないけれど、負けて失うものは圧倒的に違う気がしてしまう。フェアじゃない。


「私男に生まれたかった」
「アァ?」
「男だったら私も部員として入部できた」
「お前の運動神経じゃ準レギュラーにもなれねえな」


どんなに教えてもらってもいまだにアンダーでしかサーブ打てないポンコツですからね、どうせポコーンポコーンですよ。ラケットに見立てたノートでマヌケな素振りをすると、跡部がハハッと声を出して笑った。全国大会への出場が決まってからというもの、ここ最近の跡部は目に見えてピリピリしていた。今日の練習メニューもかなりハードな内容で構成されていたから、本当なら早く帰ってゆっくり身体を休めて欲しいところなんだけど。相変わらず可笑しそうに私を眺めながら喉を鳴らす様子にまあいいかと思ってしまう。今の私はさしずめ道化というところか。無論跡部が笑ってくれるならなんでもいい、道化にだってなんだってなる。私が跡部にとって必要な理由は幾つだって欲しい。


「で、今度こそやめるのか?」
「やめないよ、私には私の役目ってやつがあるからね」
「そうかよ」
「跡部も私がいないと寂しいもんね?」
「あぁ、お前みてえな馬鹿がいないとつまんねえからな」
「わかってらっしゃる」


こうして私のやめるやめる詐欺は幕を閉じる。大体いつもこんな感じだ。少し違うのは、跡部が何か言いたげな顔をしていること。跡部ははっきりしているから、何を考えているかわからないということは案外少ない。わからないということは、当の本人も心が定まっていないというところだろうか。


「…、俺が勝ったらお前は嬉しいか?」
「もちろん、自分のこと以上に嬉しいよ」
「じゃあもし、」


言いかけて、なかなか次の言葉が出てこない。跡部に不似合いなセリフが私の頭に浮かんで、決して彼には口に出して欲しくないと願った。それでもここまで誘導してしまったのは他ならぬ私なのかもしれなくて、「もし、負けたら」と横から強引に続きを紡いだ。というにはあまりに強制的だっただろうか。伺うように顔を上げるとちゃんと言葉を受け取ってくれた跡部がひたと見据えていたので、私はまた自信をもって向かい合っていいんだと思えた。


「それはその時俺に敗北が必要だっただけだ、お前が背負うものじゃねえ」
「一緒に背負っちゃダメなの?」
「あぁ」
「なんで?」
「お前に潰れられたら困るからな」


私そんなに弱くないよと言うと跡部は笑った。きっとそれは私には抱えきれないほどの重責で、跡部の言う通りぺしゃりと潰れてしまうほどなのかもしれない。私が潰れたら跡部の笑顔が消えてしまう、そんな思い上がりも許されるほど私はずっと跡部を見てきた。それは他の誰でもない跡部が証明してくれる。


「跡部が潰れた時に支えなきゃいけないもんね」
「俺様が潰れるわけねえだろ」
「それもそうだね」
「お前は居るだけでいい」
「わ、跡部って結構私の事好きだよね」
「わかってんじゃねえか」


「いい加減帰るぞ」と跡部が立ち上がるので、少し甘えて手を伸ばす。雑に引っ張られたせいで少し勢いがつきすぎた。跡部に抱きつくようになってしまって「ごめんね」と謝るとこれが正解といった風に笑う。
そう、これは確認作業。
私が私じゃなきゃいけない理由、私が跡部になれない理由、私と跡部が一緒にいなきゃいけない理由。手を替え品を替え、私たちは今日もわかりきった答え合わせをする。








(2018.5.26)


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