私が「ゆきむらー」と呼ぶと、彼は決まって「、もう少し賢い話し方できないの?」と言う。まあ確かに私は頭が悪い。偏差値というものが低い。明確にいくつなのか計ったことがないからわからないけど、立海に通えてるのが奇跡なレベルで頭の出来が良くない。そういうものが話し方に表れているよ、ということらしい。(さすがにヒドくないか)
「うわあ俺こんな数字初めて見たよ」
今も幸村は1枚の紙を手に爆笑しているけど、別にギャグ漫画を読んでいるわけじゃない。今日返って来た私の答案用紙を見て爆笑している。数学18点。笑ってもらえるなら逆に救われる。
の頭の悪さはもう才能みたいなものだよね、まあ俺はそんな才能いらないけど」
自分でもそう思う。こんな才能欲しくない。それでも、実は今回のテストに向けて私は人生で初めてといっていいくらい真面目に勉強をしていた。こんなに教科書と向き合ったことなかった。すれ違いで離婚寸前の夫婦がもう一度やり直そうって決断するくらい向き合った。と思う。





さかのぼること2週間前、先生から呼び出しをくらいグッタリとうなだれながら生徒指導室から出てきた私に幸村は珍しく優しい言葉をかけてくれた。
は運動神経はいいんだから脳の処理スピードは優れてる方だと思うんだ、だからちゃんとやればそれなりの結果は出るんじゃないかな」
幸村の言ってることは半分くらいしか理解出来なかったけど、どうやら私にはまだ可能性があるらしいことだけはわかった。あと、その優しい言葉は別に私に慈しみの気持ちが湧いたわけではなく、最近元気のなかったお花がめでたく復活して機嫌が良かっただけだからということまでわざわざご丁寧に説明をしてくれた。(大丈夫です、勘違いなんかしません)そんなことはさて置いて、このままいくと私は内部進学すら危うい。今更他の学校になんて行きたくない。しかしここまで馬鹿となると友達からは既にお手上げだとさじを投げられていて、他人の勉強の世話ができるほど優秀な人物といえばもう目の前にいるこの男しかいなかった。だから私は意を決して幸村に土下座をしてまで勉強を見てもらうことにした。なぜ土下座までするのか一般社会の常識からすると理解に苦しむかもしれないが、この男に「人にものを頼むの時の態度って、知ってる?」と微笑まれると私にはこの選択肢しか浮かばなかったのだ。 幸村ときたら私の土下座姿を見て嬉しそうに「さすが!姿勢だけは綺麗だから土下座も素晴らしいね!」と拍手をしていた。たまたま通りかかった真田君を巻き込んで「ほら見て真田、こんな綺麗なジャパニーズ土下座見たことある?」と見世物にする始末だ。がっつり床に額をこすりつけていた私には2人の顔は見えなかったけど、きっと幸村はこれ以上ないほどイキイキとしていただろうし、真田君はあの気難しそうな顔をさらに歪ませていただろう。

土下座までして得たはずの幸村の個人指導の権利は、次の日見事になかったことにされていた。

「引退したとはいえ俺が練習を休むわけにいかないだろ?」
確かに幸村は高等部に上がってもテニスを続けるんだろうし、その為に毎日練習が欠かせないのもわかる。わかる。それはわかるんだけど。さすがに私の決死の土下座を無駄にされては困るので、練習が終わるまで待ってるからその後に教えてもらうことはできないだろうかという打診をした。短い時間でも積み重ねればそれなりの結果が出るに違いない。(チリが積もればなんとかって言うし)
は俺にゆっくり晩御飯も食べさせてくれないのかい?」
言われてみれば確かにその通りだった。いくら廊下のど真ん中で土下座をしたからといって、そんな当たり前の時間を奪う権利など私にはない。でもそうなると私はどのタイミングで幸村に勉強を教えてもらえればいいのだろう。1日は24時間しかない。どう考えても3時間は足りない。仮に神様に3時間増やしてもらえたところで幸村が私に使ってくれるとは思えないけど。
「じゃあとりあえず毎日しっかりテスト範囲の教科書とノートを読めばいいんじゃないかな?それだけでいいよ。これならわざわざ俺が教える必要ないしナイスアイディアだと思わない?俺ってさすがだね。え?ノート取ってない?…はぁ…信じられないけど時間もないし仕方ないから見せてあげるよ。あ、俺今日すごくコロッケが食べたい気分なんだよね、どう思う?」
強請りたかりだと思います。駅前の肉屋さんのコロッケ80円。しっかりと奢らせていただいた。(部活出ないなら勉強教えてくれればいいのに…)とも思ったけど、隣で幸村がとても美味しそうにコロッケを食べていたので文句を言う気もなくなってしまった。幸村に借りたノートは80円では割に合わないくらい綺麗でわかりやすくて、自然とやる気スイッチが入る。そんなことを翌日ノートを返しながら報告したら、「にもやる気スイッチあったんだね」と笑っていた。(この野郎)

そうしてこの2週間、幸村に言われたとおり私はひたすらテスト範囲の教科書と幸村に写させてもらったノートを読み続けた。何度も同じ問題を解き、わからないところは友達や幸村に聞き、それをまた何度も繰り返した。勉強の仕方なんて今までちっともわからなかったけど、もしかしたらこういうことの積み重ねなのかもしれない。生まれて初めてのテスト勉強に励み、その成果を見せてやる!と意気込んでいたはずの私の勢いはテスト開始直後驚くべき速さで失速した。
(…え…全然わかんないんですけど…?)





生まれて初めてのテスト勉強が即結果に繋がるはずもなく、自己ベスト更新はしたものの5教科中4教科が赤点。数学なんて18点。幸村が爆笑するのも無理はない。でも、どうしても腑に落ちない点がひとつある。


「まあでも今までで一番いい点だったんだろう?また次頑張ればいいじゃない」
「それはそうだけど…」
「何か不服?」
「…もう少し、ちゃんと教えて欲しかったなって…ひとりじゃやっぱり全然ダメだったわけだし…」
「んー…だって俺が教えたところでの成績が上がる保証はないだろう?」
「でもさすがに赤点回避くらいは、できたんじゃ…」
「ちょっと教えてもらった程度で上がる成績なら、今頃は18点なんて取ってないよ」
「そう、なの…?」
「俺に言ったよね?毎日教科書読めって。テストってさ、所詮日々の授業を応用化させたものでしかないんだよ。教科書に書いてある基礎中の基礎さえなんとなく理解していれば5割程度はとれるように出来てるんだ、先生達だって特別難しい問題を作ってるわけじゃないんだよ。だから教科書をあれだけ読んでも理解できないの成績を短期間で一般レベルまで上げることなんてほぼ不可能ってことなんだ。ね?だから仕方ないだろ?」


うまいこと丸め込まれた気もするが、言われた通りな気もしてしまう。だって私は馬鹿なのだ。私より軽く3倍は賢いであろう幸村に「そうだろ?」と言い切られてしまえばそれが正しいものになってしまう。


「見て、20点以下は特別補習有りだって」
「え!!まさか冬休み?!」
「普通の中学3年生は受験勉強で追い込み時期なんだからも少しは見習ったらいいんじゃないかな。 どうせクリスマスに予定もないんだろう?まあどうしてもっていうなら付き合ってあげてもいいけど、せっかくのクリスマスにの勉強を見てあげるんだからケーキくらい用意してもらわないと割に合わないと思わない?あ、俺ショートケーキあんまり好きじゃないからよろしく」
「えぇ…じゃあ…チョコレートケーキでいい…?」
は本当に馬鹿だね、俺がお前とクリスマスを過ごすわけないじゃない」
「(どっちだよ…)」
「どっちだと思う?」


そんなキラキラした笑顔で人の心を揺さぶらないでほしい。きっとあの日私が土下座をしたときもこんな顔だったに違いない。私は無事高等部に進学さえ出来ればなんでもいいし、もちろん幸村とクリスマスを過ごしたいだなんて微塵も思ったことはないけれど。それでも一応年頃の女子なので、目の前の同級生にどんな形であれ誘われれば多少なりとも嬉しいし、バッサリと切り捨てられればそれなりに心の隅に傷を負う。だからどっちに転べばいいのかはっきりしてもらわないと今日の睡眠時間が減るくらいの事態なのに。 幸村ときたらそんな私を見て心底楽しそうに笑っているのだ。
本当に馬鹿なのはこいつなんじゃないの。






(18.4.28)


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