「どないしたん、ソレ」

睨むような鋭い視線の先にあるのは私の耳たぶ。本来の肌色よりほんのりと赤く熱を持ち、不自然な山が出来ている。隣の席の一氏くんは今日それに気が付いた唯一の人物だ。だからといって別に彼が私のことをよく見ているとかそういうわけではなく。バレないように髪の毛で隠し続けていたものを、放課後になり気の緩みが生じたのかうっかりサイドを耳にかけてしまったからで。思わず日誌を書いていた手を止めて「えーと…」とそれらしい言い訳を考えてみるも一向に良案は浮かばず、一氏くんはそんな無駄なあがきを蹴散らすかのようにあっさりとその正体を暴いた。

「いつ開けてんピアス」
「…土曜日の夜」
「ようやるわ、痛いんやろあれ」
「めっちゃ痛いけど、直前の恐怖心のがやばかった」
「おーこわ」
「せやけどようわかったね?絆創膏貼ってファンデ塗って隠しとるのに」
「後輩に開けとる奴おんねんけど、最初の頃ようそやって隠しとったからな」
「なるほど」

後輩とはきっとあの生意気そうなニ年生の子だろう。応援に行った時に友達がかっこいいと騒いでいた。確か四つも五つも開けていた気がする、その時には既に隠すこともなく堂々としていたものだった。連想ゲームのようにあの瞬間を思い出して身震いをしてしまうほどビビりな私には到底無理な数だ、尊敬に値する。たったの二つで気を失いかけたというのに。一氏くんも痛みには弱い方なのだろうか、私の耳をチラチラと見てはいちいち顔をしかめている。気持ちはわかるけど、ちょっと傷つくからやめてほしい。

「自分でやったんか」
「お姉ちゃんに頼んだ、バチーンて」
「うわ容赦無さそうやな」
「うちのお姉ちゃんほんまひどいねんで、暴れたら蹴られるし」
「それは暴れるが悪いやろ」
「しゃあないやん、怖かってんもん」
「ほんならなんで開けたん」
「お姉ちゃんが先に開けたんやけど、可愛いなあーええなあーって」
「ほおー」

自分で聞いてきたくせに、そらで返事をした一氏くんは大した興味も無いとでも言いたげにペラペラとファッション雑誌をめくっては適当に眺めていた。もちろん興味がないのは私の話であって雑誌の方ではない。自分でもこんな話にさほど面白みがあるとは思えないし、私はむしろ一氏くん以上にその雑誌の内容が気になって仕方がなかった。デート企画ではかっこいい男性モデルと今話題のアイドルが彼女役として楽しそうに腕を組んでいる。彼女の耳にはおすすめのプレゼントとしてピアスが光っていた。ピンクゴールドの星モチーフにスワロフスキーが揺れていて、いかにも女の子らしい可愛さで溢れている。どこのブランドだろう、やっぱり高いのかな。私には可愛らし過ぎるだろうか。釘付けになってしまった私がどんどん無遠慮に近づくものだから、一氏くんはそれを避けるように限界まで仰け反る羽目になってしまった。そんな様子に気付いた時には彼は椅子から落ちそうになる寸前で、そこまで避けなくてもいいじゃないかとやっぱりちょっと傷ついた。図々しいのか繊細なのか自分でもややこしい。

「なんやねん見たいなら言えや」
「ごめん、ひなちゅん可愛いなーって」
「ひなちゅん?…あー最近テレビでよう見るわこの子」
「ひなちゅんのこのピアスめっちゃ可愛い!欲しい!」
「買ったらええやん」
「まあ今付けとるやつ一ヶ月くらい付けっぱやねんけどな」
「結構先やな、今悩んでもしゃーないやろ」
「せやから、次どんなのにしようかなーっていう楽しい悩み」
「えらい長丁場になる悩みやな」

いまいち共感は得られなかったらしく、頬杖をつきながらページを捲る一氏くんは相変わらず興味の無さそうな顔をしている。初夏におすすめのデートコースは横浜赤レンガ倉庫、鎌倉散策……関西人にはなんの有難みも無い情報だ。興味が無いのは今度こそ雑誌の方かもしれない。
「ここ一氏くん書いて、体育男女別やったし」
差し出す日誌と交換するように雑誌が回ってくる。開かれたページはいつの間にか数枚遡られていた。こんなことをされたらご厚意に甘えてまだこの話を続けてしまうじゃないか。ずるい。

「せっかくなら可愛いの付けたいやん」
「お前ら女子の可愛いなんてどうせそういうピンクのキラキラしとるやつやろ、おもんない」
「ええやんピンクのキラキラ、可愛い」
「ほんまお前ら没個性の塊やな」
「一氏くんが個性の塊すぎるんです」
「アホか、それの何が悪いねん」

褒め言葉や。ニヤリ、効果音がするように口端を上げる。かっこいい。久しぶりにそう思ってしまって、思わず緩む口元を抑えられない。すぐ顔に出てしまうのだ。幸い日誌に取りかかっていた一氏くんにはバレなかったようで、想像するに容易い辛辣なツッコミは回避することができた。あれはあれで、遠慮のない距離感が嬉しかったりするのだけれど。

「一氏くんって何色好きなん?」
「なんやその脈絡のない質問」
「センスがええ人の意見を参考にしよう思って」
「好きな色にセンスもクソも無いやろ」
「ピンクのキラキラよりはセンスあるんちゃう?」
「根に持つなや」
「ふふ、ごめん冗談冗談」

趣味の悪い冗談に一瞬顔がしかめられる。慌ててもう一度謝るとしょうもないとでも言いたげに小さくため息をつかれてしまった。さすがはお笑い芸人一氏ユウジ、判定が厳しい。はなから大した意味のない問いかけだ、てっきり流されたとばかり思っていたけれど。忘れかけた頃に至極怠そうな声が返ってきた。

「藍色や」
「え?」
「好きな色」
「あー…藍色て、そのペンみたいな?」

想像よりずっと綺麗な字を書いている一氏くんが握っているシャーペンはデニムみたいな深い青色で、私が知りうる限りそれが藍色というものだと思う。肯定のつもりか「おー」と短い一音のみが返された。言われてみれば確かに彼の持ち物は青系が多い。筆入れも、今日履いてる靴下も。対して私はあまり青色に縁がない。シャーペンはピンクだし筆入れはポストみたいに派手な赤。

「青かあ、私にも似合う?」
「俺に聞くなや知らんわ」
「一氏くんお洒落さんやんか」
「お洒落さんちゃうわ」

本人の否定はさておき、間違いなく一氏くんはお洒落さんだ。ニ年の校外学習の時にそれは周知の事実として証明されている。古着ばかりでお金はかかっていないと笑っていたけれど、逆にそのこなれ感が私の心をキューン!とさせた。もちろんキューン!となった女子は私だけに止まらず、知り得る限りで三人はいた。幸い四人中彼と普通に話す間柄なのは私だけ。勝手に一馬身ほど差をつけたつもりで調子に乗った報いだろうか。それ以降席替え運には見放され、同じ斑にもなれず、キューン!を加速させるハプニングは何ひとつ起こらないまま時は流れた。案外移り気な私の心はバスケ部の副部長にいったり陸上部の2年生にいったり、落ち込む暇もないまま忙しなく動くのだけれど。それでもこうしてまた同じクラスになれたり隣の席になれたり、呆れるほど単純な私は何かしらの縁があるはずと信じてしまうのだ。

「せやったら、一か月経ったらまた聞いてもええ?」

どうやら何かしらの縁を信じた結果気が大きくなっているらしい。突拍子もない発言に一氏くんは目を丸くした。

「はあ?」
「そんで一氏くんに可愛いの選んでもらう」
「なんでやねんそんなん自分で選んだらええやろ」
「またピンクのキラキラ選んだら意味ないやん」
「自分ほんま根に持つタイプやな」
「乙女心傷つけた責任とって」
「誤解を招く言い方やめろや」

抗議の声と共に体育の感想を書き終えた日誌が戻ってくる。一氏くんと話すのは楽しい。何を打っても返してくれる。カキーンとホームランのように気持ちの良い音を響かせて。もちろん私なんて金色くんに比べれば言葉のセンスも会話のテンポも劣るのだから、そう思えるように一氏くんが気を遣ってくれるからこそだ。そういうところも好き。完全に再燃した恋心は止まることを知らないようで。カチカチご機嫌に鳴らしながらシャーペンを構える私にもう怖いものは無い。

【今日のまとめ】
一氏くんと今度一緒に買い物に行く約束をしました。

「何を書いとんねん」
「ん?駄目やった?」
「当たり前やろそんなん書くなアホか」
「せやかて書いとかんと一氏くん水に流してまうもん」
「ちょお待て話おかしなっとるやろ」

嬉しかったです。と続けるつもりが、肝心の日誌はそうはされるかと言わんばかりに奪われてしまった。
「大体そんな約束してへんからな」
嘘から出た実なんて言葉もある、勢いでどうにかなるかと思ったが。どうやら敵はそんなに甘くないらしい。性急に筆入れから取り出された消しゴムは何度も非情に擦過した。一文字ずつ私の切なる願いが消えていく、かわいそうに。私はただ可愛いピアスが欲しかっただけなのに。一氏くんと買い物に行きたかったのも事実だけど。

「…一氏くん、怒った?」
「呆れとるわ」
「ごめん」

これ以上失態を重ねては一氏くんに嫌われかねない、さっさと帰った方が身の為だろう。
「そもそもピンクのキラキラなんて私のキャラちゃうな」
へらっと崩す顔はアホと称されるにふさわしいほど情けない。どんなに可愛くても身に着ける側にその要素がなければ台無しだ。しおらしさも奥ゆかしさもない私に似合うはずがなかった。
大人しく帰り支度をはじめる私の目前、ぞんざいに雑誌が放られる。ぎょっと慄いたせいで掴みかけた筆入れは滑り落ちた。拾い上げようとずらした視線は不機嫌でも睨みつけるでもなく至極いつも通りな一氏くんに気付く。

も似合うやろ、ピンクのキラキラ」

当たり前のように言ってくれるが、それこそ趣味の悪い冗談にしか聞こえない。もちろん笑いに厳しい彼がそんなつまらないことをするわけもなく。雑誌と一氏くんを交互に見てはしつこいほど反応を伺ってしまう。

「え、ほ、ほんまに?」
「お洒落さんの言う事信用出来ひんのか」
「で、出来ます…」
「おう、まあ小春のが似合うけどな」

そのまま勢いよく日誌と鞄を引っ掴んだ一氏くんは大きな足音を響かせながら教室を出て行ってしまった。ぽつんと残されたのは私と机上の雑誌。頁はデート特集を開いたまま、その角は雑に折り目がつけられていた。
改めて見る件のピアスはやはり可愛い。どう考えても金色くんより私の方が似合うだろう。税込ニ万五千円はなかなか簡単に手の届く値段ではないけれど。晴れて手に入れた暁には、責任をとって誰よりも最初に一氏くんに見てもらうことにした。








(19.5.5)


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