少しオーバー気味のボールを無理やり取ったら突き指をした。これだからバレーボールは嫌いだ。保健室でテーピングをしてもらいながら「寝てっていいですか?」と聞くと「戻りなさい」と被せ気味に怒られたので、今はおとなしく残りの時間を体育館の隅っこで体育座りをして過ごしている。1度コントロールを失ったボールが飛んできて危うく再び保健室送りになりそうだったので、どんどん安全そうな位置に移動しているうちにステージの端まで来てしまった。(でもここなら寝ててもバレなさそう…)念のため幕の裏にでも隠れようと奥へ進むと何かを踏んだ。


「うわっ」
「……なんじゃか」
「わあ仁王かびっくりした…あ、ごめん足踏んだ」
「なんもなっとらん」
「…なにしてんの?」
「見ての通りお昼寝じゃ」
「こんなとこで?」
「なかなかの穴場ぜよ」


男子はみんなグラウンドにいるはずなのに、そこからどうやって体育館のこんな奥まで潜り込んだのかつくづく仁王が不思議でならない。瞬間移動でもしたんだろうか。すっかり目が覚めてしまったらしい仁王はゴキゴキと首を鳴らしながら背中を伸ばしている。(なんか猫みたい)にゃーと鳴き声が聞こえてくるみたいな手招きをされ、早く座れと言う。確かにこんなところで立ちすくんでいてはせっかくの穴場が目立ってしまう。言われた通りにしゃがみこむと「もうちょいこっちじゃ、死角にならん」と更に奥まで引きずり込まれた。与えられたスペースは体育座りをするのがやっとの広さで、触れずとも伝わる仁王の体温が少し気恥かしい。


「いつからここにいたの?」
「ほーじゃの…がネット運びながらすっ転んだ時くらいからか」
「見てたの?!てかそれ体育始まってすぐだな?!」
「随分派手に転んどったのう」
「いやほんと自分でもびっくりだよ…ここまでどんくさいとは…」


転んだ時に摩擦で溶けたジャージをなぞりながらわざとらしく泣くフリをした。実際泣くほどではないにしろ自分のどんくささには呆れている。仁王も今でこそ可笑しそうにのどを鳴らしているけれど、クラスでわりと仲の良い彼には数え切れないほどのご迷惑をかけているはずだ。今朝だって目の前でプリントを盛大にぶちまけて拾うのを手伝ってもらったし、うっかり財布を忘れたから昼休みに100円借りた。(これはなんか違うか) クラス替えの当初は『ミステリアスでカッコいい』と良い意味で近づきがたい存在だったはずの仁王も、たまたま席の近かった私が連日のように何かをやらかすせいですっかりそのイメージが崩れてしまったらしい。彼は見て見ぬ振りもせず助けてくれるのだ。もちろんそのやらかし具合よって苦笑いやら呆れたようなため息やらバカにしたような笑いやら様々なリアクションがセットになってるわけだけれど。申し訳ないとは思いつつ、その甲斐あって友達になれたようなものなので結果オーライだと思っている。(勝手に)


「男子はサッカーだっけ?」
「拷問じゃ」
「大袈裟」
「女子はぬくい体育館でええのう」
「まあ今日風強いもんね」
「こんな寒い中やってられん」
「私もやってられん」


ほら見てよと負傷した指を見せつけると、薄暗くてよく見えなかったのか私の手首を掴んでまじまじと観察した後やっと納得したように「あー」と言った。 (手、冷たい)


「突き指したんか」
「うん、さーちゃんのレシーブ無茶すぎるんだもん」
「無理やり取るからじゃ」
「そこはガッツがあるって褒めてよ」
「転んだり突き指したり忙しのう」
「どんくさいなりの満身創痍だよ」
「怪我したら元も子もないぜよ」


「気ぃ付けんしゃい」と子供に言い聞かせるように私の頭をぽんぽんしながら言った。きっと思い起こせばこれまでにも何度かそうされたことはあったかもしれないのに、この状況ではすべてがノーカウントになる気がした。見慣れたはずの仁王の顔も聞き慣れたはずのその声も、なんだか別人のように思えてしまったのだ。「どうした?」と顔を覗き込まれて思わず顔を逸らすとすぐ後ろの壁に勢いよく頭をぶつけた。そこまで痛くなかったけどさも痛そうにうずくまりながらたぶん赤くなってるであろう顔を隠した。仁王が「頭ヘコんでないかのう」と笑いながらまた私の頭を撫でるからだ。


「…こんなとこ見つかったら仁王のファンに殺される」
「うちのクラスにはそんな奴おらんじゃろ」
「女子の情報網舐めるな、こんな噂なんてWi-Fi並に飛ぶから」
「別に気にせん」
「気にしろ!根も葉もない噂話を泳がすんじゃない!」
「根も葉もあればええんか」


言っている意味がわからなくて顔を上げると、ぐいっと突然仁王の顔が近づいた。慌ててその分距離を取ろうとしてもすぐ後ろは余白も無い壁の行き止まりだ。(バカじゃん、さっきも頭ぶつけたのに)仁王の髪が当たってくすぐったい、数秒後何が起きるかなんて簡単に予想出来てしまう。体育の時間、暗がりに身を潜める2人、まるで漫画みたいだ。そんなことを考えてる間に仁王の唇が掠めるように触れた。目を閉じることも忘れてまばたきをくり返しながら目の前の仁王から目を逸らさないようにするのが精一杯だった。


「なんで」
「嫌か」
「嫌じゃない、けど」
「けどなんじゃ」
「なんで、」


危うい距離で聞こえていたはずのボールの音が遠くなった。何も聞こえない。再び触れる唇はさっきのとは比べものにならないほどリアルで、仁王がどんどん心に入り込んできて苦しい。息がかかる近さで「」と呼びかけられ、恐る恐る目を開いた。


「既成事実じゃ」


目の前の仁王はちっとも笑っていなかった。いたずらにからかっているわけではないだろう。彼は面白がって誰かを傷つけるようなことはしないのだ。だけどこのままでは出口のない迷路に迷い込んでしまう。私は自分に都合のいい解釈をするし、仁王だって彼なりの解釈をするのだろう。 その真意を探りながら1人頭を悩ませるなんて悲しすぎる。私は駆け引きを楽しむような余裕のある恋なんて知らない。(恋、なのか)ワンテンポ以上遅れて気付く感情に急かされて今にも泣きそうになっている私に気づいてるくせに仁王は何も言ってくれなくて、さっきの言葉の切れ端にすがる思いでだらしなく揺れるワイシャツを掴んだ。(既成事実なんて、ずるい)


「やだ、ちゃんと言ってよ」








(2018.4.16)
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