午後の授業が始まるチャイムを背にゆっくりと階段を上がる。少し肌寒い空間はコンクリートの打ちっ放しで囲まれていて、何度来てもこのカビ臭さには慣れる気がしない。それでもここに来てしまうのはただの気まぐれ、食後の日光浴だと言い訳を考えるのも馬鹿らしくなっていた。鉄臭い金属扉を押し開けると、その先には危うげにスカートを揺らしながら風に身を預ける見慣れた後ろ姿。 「…あれ?跡部また来たの?」 「来ちゃ悪いかよ」 「いや別に?お好きにどうぞ」 偉そうに手招きをする仕草に軽くイラつきながら隣に腰を下ろす。真横には今にも折れてしまいそうなの細い足が短いスカートから真っ直ぐ伸びていて、挑発でもしてるつもりなのかと鼻で笑うとそれに気付いたの視線がこちらに向けられる。なにを勘違いしたのか手にしていたコーヒー牛乳を「飲む?」と勧めてくるその無防備な顔はどうも苦手だった。思わず払うように顔を反らすと、はそんなことは気にも止めずにまた1人でのんびりと空を眺める。まるで俺の声など届いていないかのように。 「ねぇ跡部、昨日ここ来た?」 「…来てねえよ」 「ならいいや」 「なんだよ」 「私昨日学校休んだからさ、跡部来たのかな?って思って」 クラスも違えば共通の知り合いもいない。お互いがその日いるのかいないのかもわからない不思議な関係で、唯一まともに顔を合わすのはこの屋上でのみ。そんな日々が始まったのは1ヶ月ほど前のことだっただろうか。なにをするわけでもない。ただそこにがいるだけの空間。気まぐれにぽつりぽつりと生まれる会話は少なく、お互いを知るにはあまりに浅いものばかりで。逆にそれが心地良いと気づくのに時間はかからず、気付けば無意識にここへ足を運ぶようになっていた。 本当は昨日も同じ時間に同じ場所に座っていた。が来ていないことにはすぐ気付いたが、それでも俺は部活までの時間をここで過ごした。の存在が自分を動かしているわけではないと自分に言い聞かせていた。 「熱でも出したか?」 「お、さすが跡部勘が冴えてるね」 「風邪引いてた奴が休む理由なんてそれくらいだろ」 「…私風邪ひいてるって跡部に話したっけ?」 「お前こないだから鼻声だったじゃねえか」 「なるほど」 「最近珍しくカーディガン着てるしな」 指定外のチャコールグレーのカーディガン。寒いなら屋上なんか来なきゃいいじゃねえかと何度言おうとしたことか。それでも毎回言い止まったのは、は意外と素直な奴だと知っているから。風邪が治るまで大人しく午後の授業を受けるを想像するのはそう難しいことではなかったから。だからどうして俺がそれを阻止する必要があるんだ。矛盾してる。矛盾してんじゃねえか。 「跡部?どうかした?」 「どうもしねえよ」 引き続き疑惑の目は向けられたまま。納得いかない、はそんな顔をしている。眉間に皺を寄せながら必死に冷静を装ってもまるで説得力が無いことくらい明らかで。とうとう堪えきれず舌打ちをすると、それを合図にするかのように近づいてきたが俺の目の前でしゃがみこんだ。あの無防備な顔で。全てを見透かすような曇りのない目で。ジッ…と見つめるかと思えば、何かひらめいたかのようにあっさり立ち上がった。ヒラリと舞うスカートがまた強引に目を奪い、慌てて視線を反らす俺を追いこんでいく。 「跡部さ、私のこと好きでしょ?」 自信たっぷりに満面の笑みを見せるを前にして思わず言葉を失ってしまう。そんな自分が悔しくて、でもそれをどう隠せばいいのかその術すら思い浮かばない。俺の出方を伺うように微かに変化する表情のひとつひとつが追いうちをかける。抑え込んだはずの動悸が少しずつ速度を増し、息苦しささえ覚えた。この感情の名前は知っている。自覚さえしてまえば後は身を任せればいいものを。無意味な意地を張る俺を見透かすように微笑むは悔しいほど綺麗だった。 「残念ながらバレバレなわけですよ」 「…お前な、」 「だって跡部私のこと気にしすぎだし」 「…んなことねえよ」 「風邪だとかカーディガンだとか」 「…たまたまだ」 「私の前の跡部は、跡部らしくないんだよ」 「………」 「ほんと、らしくないね」 「……チッ…誰のせいだよ」 無意識に交わした会話が好意を認めるものになっていたことに気付くには少し時間がかかってしまった。時既に遅し、再び言葉を失う俺と今度は声を出して笑う。たまには負けを認めるのも悪くないか。油断しきっているの腕をつかんで、力任せに再び同じ目線にまで降ろす。 「好きだ、」 急展開に少し戸惑うを抱き寄せながら、俺は形勢逆転のその時を狙うことにした。 (08.7.1) (加筆修正 18.3.12) |