のこと好きかもしれん」

ずっと好きだった人から告白をされたけど告白じゃなかった。だって彼にはまだ彼女がいた。あまり上手くいってないことはうっすら噂で耳にしていたけれど、同時に彼女が意地でも別れるつもりがないらしいことも知ってしまった。気が強くて、でも可愛くてスタイルが良くて、そんな彼女に私が勝てるところといえば『わりと明るくて元気』みたいな特別秀でもしないものだから。余計な期待などしたくない。期待させるようなことを言う方が悪い。正論を盾になんとか平常心を保とうとした。どんなにそれらしい理由を並べたところで所詮は15歳の中学生だ。好きな人から好きだと言われたら舞い上がってしまう。


「や、忍足彼女いるでしょ」
「まぁおるけど」
「サイテーかよ」
「そこまで言わんでええやろ、ヘコむわ」
「…ヘコむのはこっちだよ」


うっかりこぼれた本音に忍足は顔をしかめる。幸いその意味までは伝わっていなかったようで、返ってくるのは浅い溜息だけだった。「好きかもしれん」だなんて、そんな残酷な台詞をどうして口に出来るのか。突然差し出された信ぴょう性のない希望は自分からぶち壊すことにした。あくまで「かもしれない」なのだ。不確定要素は不確定であることに意味がある。だから忍足だってそんなことが言えるんだ。

「ちゃんと別れたら考えるよ」

我ながらお手本のような回答だったと思う。こういう時フラつくとロクなことがない。甘い誘惑と思しきものに流されない、毅然とした態度は後日友人からも称賛された。私は正しい、何も後悔なんてする必要はない。それなのに、いつまで経っても忍足の曖昧な告白がこびりついて離れなかった。あの時もう少し色よい返事をしていたら、もっと事態は好転したのではないだろうか。例えばその場で彼女に別れの電話なりメールをしてくれたかもしれない。もっとはっきりとした気持ちを聞かせてくれかもしれない。そうすれば、「せやな」と他人事のような忍足の言葉など聞かずに済んだのかもしれない。


それからの毎日は、驚くほど何も変わらなかった。だって相手は忍足だ。何もなかったように余裕の笑みを浮かべながら、自然とそれまでと同じような距離感で話しかける様子に最初は本当に戸惑ってしまった。それでも(だから「かもしれん」だったのか)と腑に落ちてからは、流されるがまま再びただの女友達でいることに徹した。私が隣のクラスの男子に告白されたと知った時も、付き合うことにしたと話した時も、二か月ほどで別れてしまったと報告したときも、忍足はあの時と似た他人事のような笑顔で「別にええやん」と言った。彼の中の不確定要素は不確定のまま確定されたのだろう。好きかもしれないと思ったけど好きじゃなかった。くだらないタラレバに悩まされていた自分が本当に恥ずかしい。あー恥ずかしい!今でもたまに思い出しては叫びだしたくなる。まさに今がその瞬間だ。誰もいない廊下でひとり頭を抱えながら学食へ向かう。何か頭がすっきりするものが飲みたい。何にしようかな…手元も見ずに財布を漁っていると、乾燥しきったカサカサの手からうっかり百円玉が滑り落ちた。自販機の下へと向かっていくそれに必死の形相で手を伸ばしたそのほんの十センチ先、勢いよくデカい足が飛び出してくる。内側のゴムソールには女の子の字で書かれた男の名前。滲んで消えかけてきた語尾のハートがなんだか虚しい。百円玉はあっという間に姿を消し、行き場を無くした手は引っ込めるしかない。


「忍足、人のお金踏まないで」
「間一髪のところを救ってもろてそれは無いやろ」
「靴の裏とか絶対汚いじゃん」
「失礼なやっちゃな、ほんならこれで俺のコーヒーでも…」
「おい泥棒、返せ返せ!」
「騒ぐなや、冗談やって」


「ほれ、」忍足は早く手を出せと言わんばかりに促してくる。ハンドクリームを塗り忘れた手なんて見せられたもんじゃないけど。おずおずと右手を開くと、ペチンと音を立てながら勢いよく百円玉を返してくれた。ほんのニミリほど触れたか触れてないか、そんな僅かなことさえ私の記憶にはしっかりと刻み込まれる。忍足はきっとそんなこと気にも留めてないのに。情けない。いい加減に慣れないものか。こいつはいちいち距離が近いんだ。


「なにしとんねん」
「へ?」
「なんか買うんやろ?」
「あぁうん、買う買う」
「俺"あたたか〜い"コーヒー」
「しつこい自分で買え」
「ほお…俺が止めへんかったら確実にあの金は暗い自販機の下に転がって…」
「奢ればいいんでしょ奢れば!」


結局どうしたってこの百円は忍足のものになるらしい。 放課後の学食にはほとんど人がいなくて、特に端っこにある自販機の周りなんて無人に等しかった。コーヒーの注がれる音が静かに響く。表示されるカウントダウンを無音で口ずさみながら、以前にもこんなことがあったと思い出す。あの日から数日経った頃、温かいミルクティーが飲みたくて自販機へ向かうとちょうどカップを取り出している最中の忍足がいた。「熱いから気ぃつけや」と不自然なほどぴったりくっ付いて並ぶ彼女に手渡しながら、後ろで待っている私に気づくと「やん、何飲むん?」とそのまま私の分まで買ってくれた。忍足の善意を無碍にも出来ず、チクリと刺すような彼女の視線に黙って耐えながらミルクティーが出来上がるのをひたすらに待っていた。ほんの10秒ほどの時間。長いような短いような。(6、5、4…)


「なあ、」
「んー?」
「もう帰るん?」
「うん、委員会終わったしね、帰るよ」
「俺も一緒してええ?」
「あコーヒー終わった、ハイどーぞ」
「ドーモ…で、ええの?」
「あぁ…うん、別にいいけど逆方向じゃん」
「ちょっとそっちの駅まで用あんねん」


あの子の家はこっち側だっただろうかと知りもしないことを考えた。 ふたつのボタンを行ったり来たり迷いながらミルクティーだったな、とそっと押す。いつまで経っても消えない記憶は自分の気持ちすらあやふやにする呪いのようで。あの日に留まること自体が目的になっているとしたら、それは一途な想いだなんて可愛いものではなく。選ぶべきはこっちではなかったのかもしれない。そんな今更な迷いを抱えながら、本当はさっきから忍足の視線に気づいていたけれど、私はカウントダウンから目を離せずにいた。

「昨日な、夜にメール来てん」

誰から、が抜けている。一番重要なポイントなのに。重要だからこそ抜けているんだろうけど。わかりきったことを聞き返すほど馬鹿なフリは出来なくて、どうするのが正しいのかなんて無駄なことを考えながら出来上がったミルクティーを取り出した。冷たい指先には熱すぎて、慌てて左手に持ち替えたり右手に持ち替えたりその繰り返し。何らかの動作をしていないと逃げそうになる。


「惚気なら聞かないよ」
「アホか、なんでお前に惚気なあかんねん」


まだ笑いが残った顔でやっと見上げた先には、真っ直ぐにこちらを見る忍足。まさか、と思うと同時に空いている方の腕を掴まれる。驚いた拍子にカップが揺れて、茶色の雫がいくつか落ちた。ミルクティーを持っていなければ、忍足に捕まっていなければ、きっと反射的に耳を塞いでいただろう。何も準備が出来ていない。聞きたくないわけじゃないけれど。それを黙って受け入れるほど、無神経に話を逸らすほど、私は器用に出来ていない。

「別れてん」

都合のいい聞き間違いをしたかった。こういうときは空気も読まず聞き返してもいいのだろうか。そうしたところで何も生まれはしないし終りもしないのに。はっきりと聞こえてしまった言葉は必死に装った平静を容赦なく崩していく。あの頃とはあまりに違う。不確定要素は確定要素になり、確定要素は不確定要素になった。整理されていく事実にミルクティーの水面が揺れる。

「なんやかんやでズルズル続いてしもうたわ」

別れを選んだ忍足はまるでゴールテープを切ったかのような、やり遂げた顔をして。目の前の私に向けられる笑顔は何度もどこかで見かけた見覚えのあるもので。あんなに喉から手が出るほど求めていたはずなのに、私が欲しかったものは一体なんだったのか。改めて問いかけられて、すっかり空っぽになってしまったことにやっと気が付いた。


「…フったの?」
「『もう別れてあげる』やて、何様やねん」
「忍足はそれでいいの?」


問いに答えるより先に忍足の手が離れた。優しく緩められていたはずの目は、みるみるうちに光を失っていく。
あの日以降もしばらくは忍足を目で追う癖がやめられなかった。その中で私は気づいてしまったのだ。いつも腰が重く仕方がなしに動く彼も、彼女の前だと少し違った。口癖のように繰り返される「しゃあないな」もどこか嬉しそうだった。部活を引退して余裕の出来た時間はほとんど彼女に費やされていた。私に告白のようなことを言った彼は、彼女と別れる気なんてそこまで無かったのだと思う。上手くいっていないという噂も、元をたどれば私が原因だったのかもしれない。フラつく心が彼女との折り合いを悪くした、そんなものはごく自然な流れでしかない。


がそれ言うんか、けったいやな」
「私のせいみたいに言わないでよ」
「別れな考えない言うたのお前やろ」
「そうだけど、そんなの当たり前じゃん」
「…何や、思うてたのとちゃうわ」
「なにそれ」
「もっと普通に喜んでくれると思うとった」


とうに消えた想いでも、形ばかりに涙を浮かべてその手を取る。そんな女の子が幸せになれるんだ。いつだったか、ドラマでそんな台詞があった気がした。それが正しいかどうかはわからない。少なくともこの場で求められているのはまさにそんな女の子なんだろう。例の他人事のような笑みを浮かべる忍足はそれ以上求めることも引くこともせず、ただその笑顔を張り付けたままコーヒーに口を付けた。YESともNOとも決着をつけないまま、「もう下校時間やな」と歩き出す忍足の後に続く。差し出されるはずだった彼の右手を見つめながら、あの日の胸の高鳴りを思い出そうと躍起になるけれど。微動だにしない心にすっかり冷めてしまったミルクティーが沁み込んでいくだけだった。









(2018.12.30)


inserted by FC2 system