跡部のお家の車に乗るのは久しぶりだった。前は確か校門を出た数秒後にゲリラ豪雨に遭ってしまい、慌てて学校に戻り下駄箱前で途方に暮れていたところを跡部に助けてもらった時だと思う。一瞬で全身ずぶ濡れの濡れねずみ状態になった私を躊躇うことなく立派な革シートの高級車に乗せてくれた。シートを汚さないか気になってお尻を浮かす私に跡部が爆笑していたのはなかなかいい思い出だ。 今日はずぶ濡れにこそなっていないがとにかく朝から頭痛が酷くてただ座っていることですら精一杯で。気を遣って静かに運転してくれているであろう運転手さんには申し訳ないけれど、わずかな振動がズキズキと響いてそろそろ限界かもしれない。石でも踏んだのだろうか、ガタンと小さく車体が揺れる。(あ、)一瞬平行を失った身体は気付けば跡部にしっかりと支えられていて、何が起こったのかと考えるより先に温かな体温が伝わって来た。跡部にもたれかかっている状況であることを俯瞰でぼんやりと認識しながら、(甘やかされてるなぁ…)とにやけてしまう。


「まだ痛むか?」
「なんとか大丈夫… 」
「薬は」
「もう少ししたら効いてくると思う…」


昨日から嫌な予感はしていた。木々を揺らす冷たい強風に降りそうで降らないどんよりとした黒く厚い曇り空。天気予報はしきりに体調を崩さないようにして下さいと注意を促していた。(明日は偏頭痛が酷くなるかもしれない)そう思って身体を冷やさないようにしたりストレッチをしたり自分なりに色々と対策はしていたけれど、狂ったような気圧の変化にはまるで歯が立たなかった。薬で誤魔化しながら放課後までなんとか頑張ったはいいものの痛みに疲れてしゃがみこんでいると「?大丈夫か」と優しい声が降ってきた。それが跡部のものと気づいて少しほっとした私は無意識に手を伸ばして助けを乞うていて。無言でそれを受け取ってくれた跡部は私の手をそっと握って迎えの車を手配してくれた。「もっと早く言え」と少し怒りながら、電話中もずっと、車が来てくれるまでの時間もずっと。跡部が手を繋いでくれていたおかげで私は悲しくならずに済んだ。(頭痛は1人で寂しくなる)(暗闇に閉じ込められているみたいだから)


「ごめんね、部活あったのに」
「気にするな」
「うん」
「もういいから目ぇ瞑ってろ」


言われた通り大人しく跡部にもたれかかったまま静かに目を閉じる。心細くてつい「ねえ跡部、」と意味もなく呼びかけると、返事の代わりにゆっくりと頭を撫でてくれた。規則的にリズムを刻むささやかな重みが心地よい。 自然と整っていく呼吸は穏やかな眠気を誘い、私は夢と現実の境目でふわふわと漂っていた。 どれくらいそうしていただろうか。気付けば跡部が触れたところはいつの間にかじんわりと優しい熱を帯びていて、私を苦しめる痛みは追い払われていくようだった。(鎮痛剤が効いてきただけかもしれないけど)


「お手当だね」
「あぁ?」
「知ってる?『お手当』って本当にこやって手の平を当ててもらうと痛みが和らぐから『お手当』なんだよ」
「セラピーみたいなもんか」
「うん、だからちょっと楽になってきた」


「ほら、」とさっきまで痛みで折り曲がっていた身体を起こそうとすると、添えられていただけの跡部の手に力がこもって押し戻される。まだこのままでいろ、ということらしい。嬉しくなってさっきよりも強く顔を寄せると、跡部もそれを求めていたのか再び優しい熱が伝わってくる。 その後はただひたすら車の控えめなエンジン音と跡部の鼓動だけ。

「降ってきたか」

パタパタと窓に当たる雨音に気づいて車窓に目をやると、無数の雫の間から近所の公園が見えた。どうやらもう我が家は目の前のようだ。跡部のお家の運転手さんはとても優秀だから道を間違えるなんてことはないだろうし、きっと私の家の行き方だってしっかりと頭に入っているに違いない。(何を言えば伝わるだろうか)そっと顔を上げると言わずとも伝わったのか「名残惜しそうな顔してんじゃねえよ」と跡部が笑うので、もうそれだけで十分だった。 跡部と一緒なら暗闇の中だって寂しくない。見上げれば星だって見えるかもしれない。 そんなことを考えていたら治りきらない頭痛がまたしつこくチクリと襲うので(もう少し、)と願いながら私は再びまぶたを閉じた。







(2018.3.27)
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