「遅ぇ」
「ダセェ」

曲がりなりにも彼氏であるはずの男に、罵声を連続で浴びせられた。 私だって好きで遅くなったわけじゃないしちゃんと準備の時間さえ与えてもらえばダサい格好もしていない。ていうかダサくない。今夜は毎年恒例のパーティーがあって時間が作れないと言われていたから、いつも通りとっとと帰って昨日録画した映画でも観ようと思ってたのに。放課後になって突然「後で迎えに行くからまともな格好で待ってろ」と告げられた。なんのためどこに行くために迎えに来るのかもわからなければ、この場合のまともな格好が何を指すのか見当もつかない。お葬式なら真っ黒な喪服を着なければいけないし、結婚式なら白い服は絶対NGだ。TPOを守るためには時と場所と場合を知らなければ守りようがないというのに。唯一のヒントは去り際の「今日がなんの日か忘れちゃいねぇだろうな?」というひと言だ。忘れてたまるか。忘れるどころか張り切って0時になった瞬間に電話をしたし今朝だって珍しく一緒に登校した。プレゼントはうっかり渡し忘れて平謝りするしかなかったけれど。 まあ要するに、跡部の誕生日にふさわしい恥ずかしくない装いをしろということなのだろう。 それはそれで、めちゃくちゃ難問なんだけど。

迷うほどの量もないクローゼットをひっくり返して所謂よそ行きと言われる服を探したけれど、去年いとこのお兄ちゃんの結婚式に出た時のワンピースしかなかった。袖がシースルーになっていて光沢のあるネイビー。多少地味ではあるが、よく言えば上品だ。親戚のおばちゃん達からも好評だった。ほんのり色づくリップを塗りながら、鏡に写る飾りっ気のない髪に気づいて急いで毛先を巻いているとけたたましく携帯が鳴る。通話ボタンを押しながら窓の外を見れば、築20年の小さな我が家には似つかわしくない跡部家の高級車。「今行くから!」と言い逃げるように電話を切って急いで外へ出ると、見慣れないスーツ姿の跡部がわざわざ車から降りて待っていた。悔しい、めちゃくちゃカッコいい。


「遅ぇ」
「何時に迎えに来るかくらい教えてよ」
「ダセェ」
「ダサくない!」


地味かもしれないけどダサくはないよ!何度も繰り返す私が面倒くさかったのか早く乗れよと言わんばかりに無言で背中を押して来るので、履きなれないヒールをうるさく鳴らしながらしぶしぶ車に乗り込んだ。どこに向かうのだろうとそわそわしながら車窓を眺めたが、いつまで経っても見えて来るのは近所のスーパーとか学校近くのお蕎麦やさんとか馴染みのあり過ぎるいつものルートだ。


「…ねえ、どこに行くの?」
「うちに決まってんだろ」
「まさかパーティーって跡部んちでやるの?」
「当たり前だ」


一般庶民の私にセレブの当たり前なんて知る由もない。そもそもパーティーという催しの時点で理解の範疇を超えている。私の知っている誕生日パーティーはお母さんの作ってくれた唐揚げやポテトフライを友達とみんなで食べて誕生日プレゼントをもらったりお返しを配ったりする小学生がよくやるアットホームなやつだ。もちろん跡部にとっての誕生日パーティーがそういうものじゃないことくらい流石の私でもわかる。


「…芸能人とか大物政治家とか来るの?」
「そんなもん来るわけねぇだろ」
「でも凄いお客さんがいっぱい来るんでしょ?」


そうだろうな、と跡部は他人事みたい返す。あまり乗り気じゃないことにはなんとなく気づいていた。昼休みにテニス部のみんなに祝ってもらっていた時の方がよっぽど嬉しそうだった。それから跡部は窓の外を眺めたまま黙り込んでしまって、それが酷く感傷的なものに見えた私は慌てて彼の手に自分の手を重ねた。何とかしなければと咄嗟に思いつくものがそれくらいしかなかったのだ。跡部は少し驚いたように振り向いて、小さく笑った。握り返される手は暖かくて、なぜだか私が泣きそうになった。




車を降りても珍しく手を繋いだままなので、てっきりこのまま広間に向かうのだと勝手に緊張感を募らせていたのに。階段を上がり、2階の奥に向かう。その先にあるのは跡部の部屋じゃないか。敷地内全体に漂う特別賑やかな雰囲気とは対照的に、ここだけはいつもと同じ穏やかな空気が流れている。


「何かあったら誰かに言え、好きにしてろ」
「え?ちょっと、」


だいぶ深く眉間に皺を寄せた跡部は私の声などお構いなしといった様子で、数人の大人に囲まれながら足早に部屋を後にする。 意味もわからず置いてけぼりにされ、あっけなく閉められたはずのドアにさっそく控えめなノックが響いた。
「お腹が空いていらっしゃるようでしたら何かお持ちいたしますよ」
顔馴染みの給仕さんが手にしているのは私の好きなアールグレイだ。あのクッキーは多分、先月お土産で貰ってまた食べたい!とおねだりしたお気に入り。嬉しいけれど、それはそれ、これはこれだ。 跡部は主役としてパーティーに出席していて、私はあたかもパーティーに招待されたような出で立ちでなぜか部屋に軟禁されている。もしかして、私がまたプレゼントを忘れてきたことに気付いてさすがに怒ってしまったのだろうか。悶々と立ち尽くす私を見かねた給仕さんが、どうぞお座りくださいと促した。


様、今日は一段と可愛らしいですね」
「あはは、ありがとうございます」
「大丈夫ですよ、景吾様もすぐお戻りになられますから」


すぐっていつですか?!と詰め寄るわけにもいかず、紅茶が注がれていくのを静かに見つめるしかなかった。後から聞いた話だが、なんでも跡部の誕生日パーティーというのは名目上のものらしく、蓋を開ければ大人達のビジネスの場でしかないらしい。お坊っちゃまの誕生日イコール大きな人脈を作るチャンスというわけか。大人の世界とはなんとも残酷だ。跡部が嫌な顔をするのも頷ける。やっぱり芸能人や大物政治家もいるんじゃないだろうか。 「…大変なんですね」なんて安い言葉しか言えない私に、給仕さんは「そのようです」と優しく微笑んだ。

ひとり残された部屋は悲しくなるほど静かだった。何か時間つぶしになるものはないか見回してみるけれど。読書…は私には難しすぎる本ばかりだし、映画…はプロジェクターの操作方法がわからない。そのためだけに誰かを呼ぶのも気がひける。
「好きにしてろって言われてもねぇ…」
今私が求めているのは楽しい時間潰しのアイテムでも美味しいご飯でもない。浮かんで来るのは跡部の顔ばかりだ。あとべー…けいごー…。置いていかれてスンスン鳴いてる犬みたいにウロついては居るはずもない彼の姿を探し、広い部屋をぐるりと一周したところでいい加減諦めてベッドに倒れこむ。もし私に尻尾が生えていたらブンブン嬉しそうに振られているだろう。大好きなご主人様の匂いがする。きっと犬もこういう気持ちでお留守番を頑張っているに違いない。 どうせならこのまま寝てしまおうか。でもきっとワンピースはしわしわになって、せっかくセットした髪も崩れてしまう。そもそもこんな着飾って何の意味があったんだろう。振り回されるのはいつものことだけど、跡部の誕生日だからと頑張ったあの時間はなんだったんだ。せっかく一緒に居られると思ったのに。再び犬がスンスン鳴いた。というか、泣いた。単純に寂しかったから泣いた。一階からはワァッと盛り上がる拍手が漏れ聞こえて、ふとさっきの跡部の横顔が脳裏をよぎる。浮かない顔など綺麗に隠して、大人の事情で集まったお偉い人達と笑顔で挨拶を交わしているのだろうか。そこでは跡部の気持ちなんてお構いなしなのだろうか。せっかくの誕生日なのに。大勢の人たちや高級ホテルのようなごちそうに囲まれても、そんなのちっとも嬉しくない。大好きな人が祝ってくれるなら、冷凍ピザとコンビニのケーキで十分だ。それだけでもう最高に幸せなのが誕生日じゃないか。
ガチャッと、静まり返った部屋に待ち望んでいた音が響く。勢いよく起き上がって飛びつくかのように駆け寄ると、跡部は思わず仰け反りながら軽くいなした。今日の私、本当に犬みたいだ。


「おかえり!」
「…お前…ひでー頭…」
「え?あ、ほんとだ」
「今呼ぶから直してもらえ」
「いいよ手で直すよこんなの」
「そんな頭でどこも行けねぇだろ」
「どこか行くの?」
「腹減ってねぇのか」
「減ってるけど、」
「おら、さっさと行くぞ


パーティーのご馳走は食べなかったのだろうか。最初から私とディナーでも食べに行くつもりだったのだろうか。跡部はそんなにお腹が空いているのか、私の手をぎゅうと強く握って引っ張っていく。もちろん私の頭はぐちゃぐちゃのままだ。どこにも行けねぇと言ったくせに。手探りで乱れた髪を直しながら、数歩先を足早に進む背中を必死で追った。手を繋いでいるから引き離されることは無いのだけれど。彼は見上げられることに慣れている。追いかけられることにも慣れている。しかし私がそうすることを良しとしない。大きな玄関を出て「お邪魔しました!」と頭を下げながら小走りだったテンポを上げる。私たちがこんなに早く出てくるなんて予定になかったのだろう、まだ車は横付けされておらず運転手さんは慌てて準備にとりかかった。ゆっくりで大丈夫です。棘が抜け落ちたように優しい顔に戻る跡部とのこの時間が、私はまだ惜しいので。


「まだプレゼントあげてなかったよね」
「随分と勿体ぶるじゃねぇの」
「うちにあるから取りに帰ろ?」
「お前また忘れてきたのかよ」
「まあそうなんだけど…、うちでもっかい誕生日パーティーやろうよ」


跡部がコンビニの小さなケーキを食べるところなんて想像もつかないけれど、私が揚げる特売もも肉の唐揚げもトースターで焼いただけの冷凍ピザもきっと彼は嬉しそうに口にしてくれるだろう。用意したプレゼントだって申し訳程度にカシミヤを名乗る安価のマフラーだ。跡部が身に着けるものとしては不相応だと思う。それでも冷たい風が吹き荒れればあのマフラーが彼の首元を暖めるに違いない。彼は存分に愛を受け取る人なのだ。それがどんなに私を幸福にしてくれるか。


「跡部、いつもありがとう」


お誕生日おめでとう!生まれて来てくれてありがとう!いつも本当にありがとう!
もういらないって言われても、まだまだやめてやらない。こっちは何度繰り返してもどんなに大声で叫んでも足りないくらいなんだから。








(18.10.4)
happy birthday!!


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