ひとつ季節が終わると部室の掃除を頑張ることにしている。とくに夏は念入りに。ロッカーの奥底に隠されたお菓子が無残な姿になり異臭騒ぎを引き起こしたのは去年の秋。もちろん犯人はブン太。鉄拳制裁とグラウンド80周の刑に処されてからはそんな事件が起こることもなくなったけれど、これを機会になんとなく良い区切りになる気がして習慣化してしまった。私ひとりで勝手にやり始めたことなのに、気を使った後輩たちが毎回手伝いを申し出てくれるのは本当にありがたい。でもそろそろそれも終わりにしなきゃいけない、私たちはもう引退したんだから。そうはいってもさすがにこの狭くはない部室を1人で掃除するとなればそれなりの時間を有するのが悩みどころ。出入りの多い放課後じゃ効率が悪そうで、思い切って人の少ない土曜日に決行することにしたけれど、その判断はどうやら正解だったらしい。窓拭きを順調に終え、ロッカー拭きに取り掛かると背後に新たな訪問者の気配。それが誰かもわからぬまま、ごめん邪魔だった?と振り返ると今日は来ないと言っていたはずの仁王が立っていた。来るなら来るって言ってくれればいいのに。来ると知っていたら、もう少し念入りにブローしたのに。


「何しとるんじゃ」
「恒例の大掃除だよ、夏はもう終了したからね」
「ひとりでか」
「もううちらも引退したしさ、いつまでも後輩に手伝ってもらうのもどうかなーって」
「ほう、らしい無駄な気遣いじゃの」
「無駄は余計だっつの」


それはすまんの、と仁王は笑う。すまんだなんて思っちゃいないだろうけど。いや思ってるのか?お詫びのつもりか知らないが、おもむろにバケツの中から雑巾を取り出して慣れない手つきで絞っている。洗剤あるんか?と辺りを見回し、私の足元にあるそれに気づくと何も言わず手にとりシュッシュッとロッカーに吹きかけた。彼が真面目に掃除をするところなど、クラスメイトも担任も見たことがないほどレアな光景だと思う。思わず手を止めて眺めてしまって、それに気づいた仁王が不思議そうに片眉を上げた。


「なんじゃ」
「…手伝ってくれるの?」
「こんなペースじゃ日が暮れるぜよ」
「いやこんなことするなら早くテニスして来なよ、まだ幸村達いるし」
「なんも準備して来とらん」
「は?じゃあなんで学校来たの?」
「さあ、なんでじゃろ?」


聞いてるのはこっちだというのに。可愛らしく小首をかしげられてしまった。仁王がこういう仕草をするのは昔からだけど、距離が近い分破壊力がでかい。慌ててロッカーに向き直す私の顔はきっと赤くのぼせているだろう。
仁王と付き合うことになったのは3週間ほど前のことで。今更どうしてこうなったんだと今でも驚きを隠せない。いまだ拭えない気恥ずかしさはこうしてすぐ顔に出てしまって、仁王はそれがたいそう面白いらしくこの3週間かなりご機嫌な様子だ。友人と恋人の違いもいまだよくわからないまま、物理的に近づく距離やそれを嬉しいと思う感情に少しずつ後押しされる中で気づいたが、どうやら私も仁王のことが好きらしい。肝心の本人にはまだ上手いこと伝えられずにいるけれど。そんなことを考えたせいか治まりかけたはずの頬の熱が蘇ってしまって。誤魔化すようにせっせと雑巾を動かしながら、一向に逸らしてもらえない視線をどうにかしようと必死に考えを巡らせた。

「あ!じゃあ、悪いけどロッカーの上の段ボール降ろしてもらっていい?」

仁王の視線はあっという間に指した方へと向き、「これか?」と雑に物が詰め込まれた段ボールは軽々と降ろされた。「もう要らなそうなものあったらこれに捨てて」そう言ってごみ袋を手渡すと、多少ダルそうにはするものの投げ出すような素振りもなく古くなったボールなんかをポイポイ捨てている。普段フラフラとしているが、お願いしたことはやってくれるし、声を上げて反抗するようなタイプでもない。まあ自分で言うのもおかしな話なのだが、要するに仁王はどうも私に甘いのだ。彼女だから当たり前なのかもしれないけれど。それをわかってて利用する私もずるいし、それに気づいている仁王も大概だ。付き合っているんだから、そんなことを気にする方がおかしいのだろうか。


「のう、これ捨ててもええんか?」
「捨てていいよもう古いし」
「これは?」
「それも捨てて大丈夫」


ごみ袋はあっという間にいっぱいになった。無駄なものは日々気をつけなければどんどん溜まっていく。みんなが柳や柳生のような性格ならばそんなことにはならないけれど、粗雑の代名詞のような中学生男子達にそんなとこを求める方が酷だろう。特に誰も使っていないこの端の空きロッカーは要注意だ。何かを隠したり溜め込むには絶好の場所になりかねない。異臭騒ぎカムバックとか黒いアレとかある程度の覚悟が必要なのだ。意を決してロッカーに手をかける私に気付いた仁王が「あ、」と小さく声を上げたが、心の中で (えぃやっ!!)と気合いを入れていた私には届かなかった。勢いよく開け放たれた先には何冊かの雑誌やら漫画が雑に放り込まれていて、それは多分、全部私が見ちゃダメなやつだと謎の勘が働いた。部室にエロ本を隠すだなんて、よくもまあそんな命知らずな真似が出来るものだ。


「…ねえ仁王」
「なんじゃ」
「この中身赤也かブン太に返しておいてくんない」
「名前でも書いてあるんか?あいつらとは限らんじゃろ」
「エロ本を部室に持ち込む奴なんて他に思いつかない」
「俺の可能性もあるとは思わんか?」
「…仁王は、多分もっと上手く隠す」


こんなうっかり過ぎるヘマなんて犯さないだろう。全く隠さないか、絶対に見つからないように工夫を凝らす。違う?とリアクションを探る私になんだか企みを予感させる笑みが向けられた。まさか、本当に犯人は仁王なんだろうか。もしこれが仁王の物ならばさっさと持って帰らせればいいだけの話なので、それはそれで手間が省けて有難いじゃないか。全くもって面白くはないけれど。


「なんじゃその顔」
「…なんでもないですー」
「仁王くんがエロ本読むのが面白くないっちゅう顔に見えますー」
「うるせえ」
「お前さん顔に出過ぎじゃ」


ククッと堪え切れない笑いをこぼす様子に大体を悟った。そうだ、何が悪い。そんなもの面白くないに決まってるだろう。付き合って1か月も経たないうちに彼氏のエロ本を見つけるだなんて、そのイベントあってたまるか。


「で、ブン太なの?赤也なの?」
「ブンちゃんじゃ、教室で見とった」
「あの野郎」
「よかったのう」
「…なにが」
「俺んじゃなくて」
「…別にいいよ仁王のでも」
「巨乳は好きじゃないんでな」
「…悪かったな貧乳で」
「細こい方が好みじゃ」


こんくらいが、と言いながら二の腕を掴まれる。いつだったかブン太に「細すぎて鶏ガラみてえ」と言われたくらい、肉付きの薄い私の腕。見たまんま体力も無くて、マネージャーとしても戦力外で、これでも結構気にしてるんだけど。引き寄せるわけでも撫でるわけでもなく、仁王はただ腕を掴んだままニコニコとしているので、私もどうしたらいいのかわからなくなってしまう。


「のう
「な、なに?」
「なんで俺が今日来たか教えてやろうか」
「…うん」
「ご親切な誰かさんが密告してくれての」
「密告?」
「『薄情な彼女がひとりで大掃除してるけどいいのかい?』ってな」


少し拗ねたような顔でちらりと窓の外に目をやる。薄情呼ばわりとは酷いよ幸村。これでも私なりに気を使っての判断だというのに。全国大会が終わって、引退をして、やっとひと息つける貴重な土曜日に部室の大掃除を手伝って欲しいだなんて、彼氏とはいえそう簡単に言えるわけないだろう。この人は私に甘いのだ。そんなことをお願いすれば、形ばかりの文句をひとつふたつ零すだけで、当日になればふらりと現れるに決まっている。お願いしなくても、こうして来てしまうんだから。でもわざわざこんな風に言ってくるということは、どうやら仁王はそれを望んでいなかったらしい。これがすれ違いというやつか。


「…だって、せっかくの土曜日だし」
「土曜日だし?」
「ゆっくり休んで、欲しいなあって」
「…らしい無駄な気遣いじゃの」


また無駄って言われた。 ふう、と小さく溜息がもれて、彼は項垂れながらガシガシと髪を乱した。あんなに見つめられていたはずの視線を外されると、途端に不安になる。次に仁王が何を言うのか、どんな顔を向けられるのか。ただの友達だった頃にはなかった感情が、毎日ふつふつと生まれてくる。どうやら、恋とは随分と臆病になるものらしい。私も、仁王も。


「あんまり頼られんのも、男として情けのうなる」
「…ごめん」
「そういうところもお前さんのええとこかもしれんが、ほどほどにしんしゃい」


わかったか?ゴツンとぶつけられた額は、そのままくっ付いたように離れない。何度頷いても、耳も顔も首まで赤くなろうとも。こんなに近づいたのは2回目だ。1回目は、おとといの放課後。あの日も私たちは部室にいて、誰もいなくて。今よりも、もっと、ずっと近かった。鮮明に思い出される記憶はあのほんの一瞬の感覚まで蘇らせてしまって、とうとうオーバーヒートでも起こしたのだろうか、グウと耐えきれない腹の虫が鳴った。


「…お、お腹空かない?」
「なんじゃ、もう昼か」
「こ、コンビニ行こ!コンビニ!」
が『仁王』って呼ぶのやめたら行こうかの」
「ええ?!」


さっきから掴まれたままの右腕はきっと彼の名を呼ぶまで離してもらえない。 にんまりと意地悪い笑みを浮かべる仁王に追い詰められて、初めて「」と呼ばれた喜びを噛みしめながら私はようやく腹をくくるのだ。


「…雅治」








(18.9.12)



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